こんにちは。
最近、冷蔵庫の存在の大きさを改めて感じています、たーはんです。
私は普段、物をため込むということをしておらず、食料品も必要最低限しか買いません。近くにスーパーがあるので、必要があれば買いに行けばいいや、という心持ちでいました。しかし、最近大雨が降る時間が多く、道路も冠水していたりして気軽に買い物に行けない状態が続きました…
そんなとき、たまたまいつも以上に冷蔵庫に食べ物が残っていたので、なんとか食いつないでいけました!やっぱり非常時の備蓄は大切だなと実感しました。
今回は、私が大学院時代に2つの大学にまたがってゼミに参加していたので、その時に感じたことを書いていきます。
今回紹介する大学院は、どちらとも(表向きは)研究がメインの大学院です。実践がメインの教職大学院について知りたい方は、こちらの記事をご覧ください↓
(教員養成系の)大学院のゼミの概要
今回紹介していく内容は、教職大学院ではなく、修士論文を執筆する”教育学研究科”の話になります。
私が在籍していた大学院は、教員養成系(教員になることを前提にしてカリキュラムが組まれている)の大学院でした。所定の授業の単位を取得することで、教員免許を「1種」から「専修」にグレードアップできます。授業の3分の1くらいが、所属する研究室のゼミナール(以下、ゼミと表記)に関するものです。
ゼミでは、修士論文を執筆するために、論文の構想や途中経過を輪番で発表していき、ゼミのメンバーで議論していくという内容でした。ゼミメンバーの人数にも寄りますが、私は半期で2,3回、資料を作成して発表していました。ゼミのメンバーですが、教育学部上がりの学生(別名:ストレートマスター)は私一人で、他は現役の教員(中学校教員、養護教諭等々)の方々でした。(平日働いて、土日で学生をされている方が多いです。)現役の教員の方がいることも前提となっているので、ゼミや授業は土曜日に集中していました。
(教員養成系ではない)大学院のゼミの概要
一方で、在籍しているところとは別の大学院のゼミにも、半年間参加していました。
「教育学について深く議論できるゼミならば、最先端の教育問題の解決策が分かる」と当時の私は考えていたので、大学院入試の際に一度研究室訪問をさせていただいた先生へメールし、他大学ながら、その先生のゼミにお邪魔させてもらいました。(昔ながらの言い方ですと「もぐり」と呼ばれるでしょうか。)
そのゼミは、教育学そのものを研究するゼミ(大学)でしたので、学校現場というより研究者よりのゼミ生ばかりでした。実際に研究者になる人も多く、教員になる人は1人いるかどうかくらいでした。(現役の教員はゼミ生ではいらっしゃらなかったと思います。)他のゼミ生は、一般企業の就職を希望する人もいました。
ここのゼミでは、毎週2コマかけて隔週でゼミを開催していました。(通常1週間に1コマなのですが、2回分をまとめて開催していました。)その代わり、隔週で空いた週には、文献研究をやっていました。
通常のゼミでは、1コマ目にやることとして、課題書籍を決めて、章ごとに要約と考察をまとめて発表する担当者を決め、それに沿ってメンバーで議論していました。2コマ目には、修士論文の構想や途中経過を発表して、それをメンバーで議論していく、というものでした。
修士論文にの構想を議論することは、どちらのゼミでも共通していました。
2つのゼミの考え方の違い
私は二つのゼミに参加していたので、どちらのゼミでも修士論文の構想の発表をしました。どちらのゼミにも、ほとんど同じ資料を提出して検討してもらいました。そして実感することになりました。2つのゼミ生たちの考え方の大きな違いが。
ちなみに、提出した資料ですが、当時大学院1年次でしたので、論文構想の初期段階のため、大きく分けて以下の内容でした。
1.研究テーマを選んだ動機
2.先行研究(既にある論文ではどのような結果がでているか)
3.現時点での参考データ(知り合いの教員にインタビューした記録)
(ここではテーマや中身は割愛します。)
上記をA4サイズで1枚ずつ、合計3枚にまとめてゼミ生に配布しました。
まず在籍校のゼミの場合、知り合いのインタビューデータのことで議論が広がりました。
「この学校だと~~ということが想像ついてしまう」「この子(インタビューした教員)の場合、○○なんじゃない」等、現役教員らしい意見が沢山出てきました。
ただ、研究の動機や先行研究の記載に関しては、一切議論されませんでした。当時、研究者の本をよく読んでいたので、「もう少し学校現場から離れた視点で議論できないものか」と思っていました。
一方で、任意で参加させてもらっている方のゼミでは、全く逆のことが起こり、先行研究のことばかり議論され、私が今後の参考になるようにとインタビューした記録には全く触れられませんでした。
「ここに書いてあるのとは逆で学者の○○は××と言っている」「このテーマなら、△△の校種に対象を変えると新しい研究になりそう」等、いかにも研究者の卵らしい意見が沢山出てきました。
修論構想の議論をしてもらって感じたこと
2つのゼミで、全く異なる意見が出てきたことで、それぞれのゼミの根底にあるものが見えてきたような気がしました。
まず、自分が所属しているゼミの方。現役の教員の人が多かったので、学術的な視点が少なく、物足りないかなと思っていましたが、その方々の議論の中には、「現場の課題を解決していこう」教育全体の問題を捉えて少しでもいい解決策を見つけるために論文を書こう」ということが前提にあると感じました。
一方で、任意で参加させてもらっていたゼミでは、研究者を目指している人が多く、社会課題や解決策の最先端を突き止めようとしてると思っていたのですが、その方々の議論の中では、「どうしたら先行研究と差をつけられるか」「論文を書くため(学会誌などに寄稿するために)論文を書こう」ということが前提にあると感じてしまいました。
私としても、教育にまつわる問題を解決していきたい!そのためにはまだまだ勉強量が足りない!という思いで進学を決意したので、後者のゼミでは大きな違和感を覚えました。
加えて言うなら、論文を書くためとはいえ、私の研究動機を考慮せず議論されていたので、その点に関しても「なんのための論文なんだ」とゼミ中に思ってしまいました。(在籍校では、個々人の研究動機を大切にしていたので、余計に浮き彫りになってしまいました。)
今回のまとめ
2つのゼミを比較して、ゼミ生の考え方として、「問題解決のための論文を書く」という思いが根底にある、在籍校のゼミの方が、自分のスタイルに合うと思いました。
ただ、任意で参加させてもらったゼミも、そこで経験したことや勉強したことはとても参考になり、外部の自分を受け入れてもらったことは、大いに感謝しています。(実際、参加させてもらったから今回のことに気がつけたので。)
結局、任意参加は半期だけになりましたが、とても貴重な経験をさせてもらいました。今更ですが、ありがとうございましたとお礼を言いたいです。
最後に一つ。学部時代(大学生の時)のゼミの先生の言葉で、印象に残っているものの一つをご紹介します。
「論文は読まれてこそ価値がある」
特に社会科学系の論文は、誰かに読んでもらって、議論されて、その人の考え方に刺激を与えられて価値がでてくるものではないかと私は思います。正解なんてでるものではなく、ならば人との対話(論文や議論)によって最適解をみつけ、生の向上を目指すべきなのではないか、と。
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